水煙作品

高橋信之選評

[平成9年5月号12月号] [平成10年5月号〜]


[平成10年]

■8月号■

先月号の後記でご報告しました東京吟行の俳句を水煙作品に ご投句いただきました。昨日のことのように思い出が甦ってま いります。

 待ちに待ちし上野吟行明け易し          栄 一
 伊予なまりなつかしく聞く沙羅の花        桜 子
 始めまして誌友六月の絵を前に          順 子
 明るく晴れて小鳥の囀り窓越しに         越 子
 東京の空細長く梅雨ぐもり            泰 子
 緑陰の葉の香が身体をかけめぐる         良 一
 いちはつや湧水のある心にも             琴

 水煙誌友以外では、インターネットで知り合った方の俳句は、

 句菩薩の集いしところ梅雨曇り         武田稲子
 紫陽花や友のほころぶ顔と顔          徳永恭子
 ココナツの甘き風ふく布哇の地         渡辺一史
 夏の夜の弾む会話に酔い早く          渡辺京子

で、これらの句にも、とてもユニークなのがあって、東京に出 掛けただけの結果を出しました。

 ココナツの甘き風ふく布哇の地          一 史

季語はありませんが、季感があって、とても夏らしい句で、 「甘き風ふく」は、文学的ないい表現です。

 泰子さんの東京スケッチの句にも、いいのがありました。

東京の空細長く梅雨ぐもり            泰 子

 東京を詠んで、とても珍しい句ですが、解釈に迷うことはあ りません。意味は明瞭で、梅雨寒の続いた東京をしっかりと記 録してくれました。

 その他の句に

 かなぶんの瑠璃の背急に開き発つ         道 朗

があって、臥風先生の句を思い起こさせてくれました。

 てんとう虫の背が割れ空へ一直線

昭和三十三年の句ですが、自然界の大きな営みは、変わるこ とがありません。小さな存在に向けている作者の視線、自然と の関わりに教えられるものがあります。的確な写生、それは、 周りを拘束しない姿勢で、その心に惹かれます。


■7月号■

 五月です。
 晴れ渡った空には、鯉のぼりが風に吹かれて心地よく泳ぎ、 明るい世界が拡がっています。

 こいのぼり瞳のきらきらと天を行く       泰 子
 鯉のぼり風あるらしく鈍行車          恵美香
 鯉のぼりテーマパークの風集め         哲 子

 五月のいい知らせには、期待を抱かせてくれます。

 五月晴セーヌ川から女神像           栄 一

 フランスからは、「女神像」が日本へやってまいりました。 五月晴(さつきばれ)は、もとは、梅雨晴、梅雨晴間のこと でしたが、現在では、入梅前の陽暦五月の好天をいうのが普 通になりました。最近のニュースには、暗いことが多すぎま すが、「女神像」の知らせは、五月の好天のように明るい話 題でした。
 明るい俳句といえば、

 シャボン玉追いかける子も七色に        良 一
 挙手の手の明るく動く更衣            晃

  で、お二人ともインターネットで、知り合いましたが、俳句 の上達が早いのには、驚かされます。家庭でも、学校でも子 どもたちが明るく振る舞えるのは、大人たちの社会の責任で しょう。
 インターネット俳句の新人からは、今月も新鮮な句をいた だきました。

 閉店のパン屋のバラはまだ紅く         けいじ
 連翹の散りたる路をけんけんぱ         緑 丘

 水煙のベテランからは、

 庭濡らし遠き桜の方も雨         (相)弘 子
 白ばらの空気を巻いていて崩る         正 子

といった句をいただきました。しみじみとしたところがあっ て、ベテランらしい深みもあります。
 私の求めていますのは、明るくて深いところのある俳句で す。透明感のある俳句です。


5月号

 卒業の記念の皿に呉須を引く           とら子

 今月号は、卒業の季節の句が寄せられました。受験の季節で もありましたが、慌ただしく過ぎ去っていきました。水煙のス タッフも大童でした。泰子さん、洋子さん、そして正子さんも 受験生を抱えての大変な季節を乗り越えました。特に編集長の 泰子さんは大学・高校のダブル受験でしたが、よい結果を得ま した。それも、俳句を作りながらの受験でしたので、素晴らし いことだと言ってよいでしょう。清歌さんは、現代俳句協会に 推薦されて会員となりました。十代の女流俳人の誕生です。本 号に特集を組みました。

 十五歳の私のことばを探す秋           清 歌
 古びた本捨てられず卒業す             〃

 美苑さんは、ノーベル文学賞作家大江健三郎のいた松山東高 校に進学します。受験一週間前にも俳句をインターネットで発 表しています。俳句の余裕でした。その句は

 鳩時計とぼけた音で春知らす           美 苑

で、中学校の成績がトップであることが素晴らしいのではなく、 成績の一番の生徒がよい俳句を作ったことが素晴らしいのです。

 巣立ちし鳥の巣に意味のなく春風         正 子

 マンションの玄関をでたすぐの植木に鳩が巣を作りましたの で、雛の成長を家族で見守ってやりました。無事に巣立ってい きましたので、ほっとしています。正子さんの句は、巣立って いくものに寄せる感慨を表現しています。  今月号からインターネットで育った新人が参加しています。

 春時雨ホワイトデーのスコーン焼く        けいじ
 下校児を丸く包んで春茜              晃
 ハンカチに野の色移し土筆摘む          道 朗
 インターネット桜前線友がいる          緑 丘

 職場では、管理職にあって、ばりばり活躍している方々です ので、これからが楽しみです。水煙は、これらの方々の参加を 得て新しく生まれ変わることでしょう。



[平成9年]

5月号

 今月も多くの句が水煙に寄せられ、楽しませていただいています。

 菜の花を摘むひらひらと黄がこぼれ        泰 子
 囀りの抜け来る空の半円球            正 子
 春光に包まれし身のときめきよ          洋 子

 これらの句が読み手に快い思いを与えてくれるのは、作り手の心が新鮮で、句を楽しんで作っているからであろうと思われます。どの句も生き生きとしています。
 私たちの俳句は、いわゆる名利の世界とは無縁で、水煙は、出世間の俳句仲間の集まりです。名利の世界を離れてこそ、真実の世界が見えてきます。心は生き生きとして本当の生活を楽しむことが出来るのです。漱石の「則天去私」の心境もこういったものであろうと思います。私たちの俳句の精進は、この心境にいたらんがためのものなのです。私たちの俳句は、内面的なものを求めています。明るくて深いところを求めています。

 寒木瓜の開き眼もあり耳もあり           功
 鉛筆の短くなって春立てり         (相)弘 子
 春光を大きくピラミッド三角に切る        良 子

 これらの句は、個性的で、世間をあまり気にしていないのがよいのです。


■6月号■

 春一番山のどよめき風に乗り           松次郎

 日本列島には春一番とともに春の季節がやってまいります。そして花の季節となります。

 子等わっと出てきて花の散る中に         公 司
 風が哭く見渡す限りさくらかな          とら子
 散る桜に軽さ与えて風の吹く           智 則
 桜咲きうしろの山を遙かにす           登司子
 黒々と幹確かなり初ざくら            光 代

 桜は、何といっても日本の花を代表するもので、雪月と並んで多くの人々によって詠い継がれてきました。それぞれの時代に、その時代に相応しい詩や俳句が絶えることなく生まれてきました。公司君の句は今を代表している、と言っても言い過ぎではありません。句に強い切れがなく一気に言い切って、「散る中に」と助詞で句を終えています。言葉に快い勢いがあって、その言葉の流れを、助詞で終えることによって堰き止めていないのが良いのです。五七五の切れとは別の軽い切れがあるのも快い流れとなって、新学期の子ども達の様子がいきいきと描かれています。
 子ども達にとっての花と言えば、これは、チューリップでしょう。

 チューリップ組の名札のチューリップ       哲 子
 登校の子がおはようとチューリップに       洋 子

花の季節は、椿、牡丹、薔薇も華やかに咲き続いて、私たちを楽しませててくれます。

 弟が帰郷す椿咲く頃に              礼 子

 戸外に出ますと菜の花もとても印象に残る花となります。

 菜の花の横ゆったりと妊婦行く          洋 子

 三月、そして四月、野に山にどこもが花盛りとなります。

 花杏一気に咲いて雨上がる             精
 山茱萸を一抱えして友来る            一 代

 四月は、年度変わりで、入学や就職転勤といった様々な別れがあります。

 えんどうの若き豆摘み別れの膳          久 子

暖かくなれば、旅に出るのもよい季節となります。海外に出掛けるも珍しいことではなくなりました。

 春愁のナイルそよ風胸を吹く           良 子


■7月号■

 俳句は、なんといっても新鮮で生き生きとしているのが人の心を打ちます。それには、作り手の心が新鮮で生き生きしていなければなりませんが、この当然のこととは別に、どの俳句が人の心に生き生きとした感動を与えるかを判断するのは、とても難しいものです。その方便としてパソコンのインターネットで俳句を読んで見るのも効果があります。時代の最先端を行く文明の利器は、使い方によっては、物事をはっきりさせるときに効果があります。どの俳句が生き生きしているか、はっきりさせてくれます。水煙のホームページで今注目されているのは、子どもの俳句です。パソコン画面で子ども達の俳句が生き生 きとしています。芭蕉の「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った言葉が真実のものとなっております。私たちは、子ども達の俳句に多くを学ばなければなりません。
 水煙の今月号では

 話しておれば「あらリラが匂うわね」       かおる

を、新鮮な句として取り上げました。日常生活での何気ない会話、そのなかでの軽い感動が快く読み手の心に伝わってきます。リラは季節が来ますと必ず咲さいてくれます。そして匂ってくるのは珍しいことではありませんが、それに心を動かされたことで詩が生まれました。

 春光斜め水煙草のむエジプト人に         征 矢

 征矢さん良子さんのご夫妻は海外旅行をなさって俳句や絵で成果をあげてこられました。良子さんの「水煙草」の絵は、チャーチル会春季展に出品され良い評価を得ました。愛媛新聞(六月四日)の記事では、「川本良子の「水煙草」は赤茶色を大胆に用いて、エキゾチックな風景を描く。ラフな筆致や色遣いが幻想的なイメージを抱かせる。」との嬉しい評を貰いました。
 文学や美術では、古いものを如何にして現代的に新しくするか、が大きな課題となります。このことについての良き示唆を与えてくれたテレビの番組がありました。NHK(教育)の「西垣通のデジタルアーカイブ・ユングと老子と電子メディア」で、西垣通氏の向いている方向と水煙の向いている方向とが全く同じであることも、とても嬉しくなりました。西垣通氏は私達の俳句の先輩である西垣脩先生のご子息です。


■8月号■

 五月尽奇々怪々の事件起き            由美子

 新聞、テレビ、あるいはインターネット等の様々なメデアによって、私たちは、日々の事件を日常的に知らされ、時には一喜一憂しています。オウム事件、阪神大震災、第一勧銀トップの自殺事件、神戸の小学生殺害事件等あまりにも暗いニュースが続いていますが、これらの真実がどれほど私たちに正確に伝わっているのか、とても疑問に思えてきます。マスメデアや電子メデアのおしゃべりが事件の真相を見えにくくしています。井戸端会議のおしゃべり屋さんのおしゃべりと変わりがなく、いたずらに事を大きくしています。真相解明とは別の名利のためのおしゃべりとしか思えてなりません。私たちの俳句は、おしゃべりを慎まなくてはなりません。俳句は、言葉を切り捨てて発展してきました。長歌から短歌へ、そして俳句へと短い形式を作り上げてきました。言葉を慎むということは、自分の内面に心を向けるということで、自分との対決といっても良いのです。社会や時代との対決ではなくて自分との対決なのです。もちろん社会から孤立するのを望んでいるものではなく、そのためには、生産の意味の重大さを考え、自分の作品を積極的に世の中に発表しなければなりません。句会、雑誌、句集といった手段が必要になります。おしゃべり屋さんのおしゃべりとは別で、名利とは関わりのないものです。孤立から身を守るための生産の行為なのです。「水煙」は十五巻の歴史を経て、足腰がしっかりしてきましたので、少し積極的に世の中に出てもよいと判断しております。「奇々怪々の事件」が頻繁に起きる時代にこそ、「水煙」の存在理由は証明されるものと願っております。

 梅雨晴れに大きなシーツ広げ干す         智 則
 ベネチアングラス乾杯夏の訪れに         栄 一


■9月号■

 松の芯見た一日を喋り出す             功
 採れとれのアカシア蜜をパンに塗る        風 女
 昼ね児の姿態大空飛ぶように           哲 斉
 風蘭の白く薫れり風も来よ            みのる

 水煙作品には、明るくて深いところのある俳句が寄せられていますが、今月の巻頭の炎昼抄は、どれもが明るくて、選をする私の心を明るく楽しくしてくれました。世紀末の暗い時代にあって、憂さ晴らしの馬鹿騒ぎではない、生活に深く根差した明るさを求めることは困難で、しかも、それを他人に分け与えるということは、なかなか出来ないことなのです。「水煙」は、こうした「明るくて深いところのある俳句」を求めています。 
 俳句は、作り手一人で成り立つものではありません。読み手の存在があって、読み手に読んで頂いて、作り手の俳句は、俳句として始めて成り立つことが出来るのです。作り手の俳句は、読み手の心深くに喜びや楽しみを与えることが出来てこそ、良い俳句であると言えるのです。俳句の読み手がいるということは、とても有り難いことなのです。

 祖父に名を呼ばれし日々よ枇杷熟るる       泰 子
 妻といる静かな時間蜻蛉飛ぶ           公 司
 炎昼や立ちしまま読む子の便り           精

 夏になりますと不思議に家族を意識するようになります。祖父母のこと、遠く家を離れて暮らしている子供たちのこと等です。季節がお盆に向かっているからなのでしょうか。日本の社会では、どこも家族は崩壊していると言われていますが、それでも家族の有りようについて考えるものです。

 若者が引き継ぐ店や夏大根         (相)弘 子
 河馬生まる親そっくりに夏に入る         一 代

 家族は崩壊しているといっても、何を引き継ぎ、何を引き渡すかということは、大きな課題であることに違い有りません。俳句という伝統文化に関わっている私たちにとっては、特に見逃すことのできない課題なのです。
 今月は、創造という文芸活動の独りよがりの過ちに落ち込まないための問題提起を致しました。 


■10月号■

 蝉の樹の天はからっぽ朝すすむ     功

 現代語的口語表現の俳句なので、従来の俳句からは、ぎこちないと見られるかもしれませんが、文句なしにわたしの好きな句です。空間と時間の重なりがうまく表現できて、俳句における季感の素晴らしさを教えてくれます。夏の朝がいかんなく表現されています。わたしの求めている「明るくて深い俳句」を代表するものと、言ってもよいでしょう。作者の思い入れや思い込みがなくて、それらを押しつける気などはさらさらないのです。

 朝顔の青がうれしい朝が来た     公 司
 カラフルにアイスクリーム売る娘らも 泰 子

 これらも、現代語的口語表現の俳句ですが、日常のありふれた風景の軽いところがよいので、作者のうれしい気持ちをそのまま伝えることが出来たという結果を出しました。これが俳句の強さなのです。こういった強さは、インターネットという最新の情報手段でも 評価されます。平明で強いものが求められているのです。明るくて深く、平明で強いものが求められております。

 まっ青に胡瓜刻めば音高し   (相)弘 子
 水撒けば蜻蛉集まる光りつつ     ミ ツ
 風鈴の音も涼やかにパン教室  (久)弘 子
 田水ゆたか音を光をあふれさす    良 子
 蜻蛉の翅が返しているひかり あさ子
 ひさびさの日差しの中に胡瓜採る   恵美香

 音と光を詠んだこれらの佳句は、季感があって、夏を健やかに過ごしているそれぞれの生活が伺われて安心出来ます。文学は独り善がりの面白さを求め過ぎてはなりません。それよりも喜び、励まし、癒やし、安心などといったものを読み手に、社会に送るというのが本来の姿なのです。 水煙作品は数こそ少ないですが、月々佳句が確実に送られてきますので、選をするわたし自身がまず喜びと励ましを与えられ、やがて誌友とそれらを共有することができます。とても有り難いことなのです。 その他の句にも季感があって、それが作り手と読み手のこころをうまく結びつけてくれております。

■11月号■

 くっきりと雲まっ白に秋が来た    泰 子
 いつもの道のいつもの角の秋の空   哲 子

 これらの句は、現代語的口語表現の良さを充分に見せてくれています。日常のありふれた生活の中での感動を 素直に表現したもので、特別な技巧はありませんが、それだけに作り手の受けた強い感動がそのまま直に読み手 に伝わってきます。あまり手を加えていないだけに強い感動が損なわれることなく伝わってきます。格調高い文 語表現の俳句、真実味のある口語表現の俳句、それぞれには、それぞれの良さがありますので、句の内容によっ て使い分けても良いのです。 

 夕立の山の重なり濡らしゆく  (相)弘 子
この話しきいているらし水中花      功

 これらの句は、時間をかけて観察していますので、対象を深めることができました。対象を深く観察するとい うことは、自分の心を深く見つめることでもあります。俳句は、詩の一つの形なので、作り手自身の心がいつも 問題となります。すべては、自分自身の心から出て、自分自身の心に帰ってきます。  

白萩を朝から吹いて野の風よ 正 子
涼風に手あげてさりげなき別れ 哲 斉

 これらの句のさりげない格調は、作り手の長い歳月を費やした俳句のキャリアから来るものと思われます。日 々の生活の中でそれほど俳句に時間を費やしているわけではありませんが、長い歳月を途切らすことなく続ける のは、大変なエネルギーのいるものなのです。大きな仕事は、意外に細く長く続けることによって成し遂げられ るものです。精神の持続力が何れは物を言うに違いありません。 

12月号

 本年度の各賞が決定しました。臥風賞は藤田正明さん、水煙賞は柳原美知子、子ども俳句賞は脇坂紀子さんで す。「水煙」 の十五年間を支えていただいた人達で、これからの「水煙」も支えていただくに違いありません。 ご受賞おめでとうございました。受賞者に共通する良さと言えば、身近な生活の中から俳句を作り、自分のもの を育てていることで、世の中に打って出るというような野心がありません。これからも、今までと同じように俳 句に精進していただきたいと念じています。

 栗めしを何度も炊いてこの世なる   玉 子
 稔り田となる楽しみの朝歩き     ミ ツ
 身の丈に合いし暮らしに秋刀魚焼く  由美子

 これらの句は、生活の中の季節感をうまく表現してた佳句で、秋の季節となった心地よさが読み手にさわやか に伝わってきます。季節を詠むということは、そのときどきを生き生きと過ごし、日常の生活を充実させること なのです。

 地に据えられ祭太鼓の地に響く    登司子
 天高し六十統の獅子が舞う      鷹 王
 獅子舞の太鼓聞こえる陶の町     とら子

 これらの句は、祭りや運動会といった地域の行事を詠んだものですが、そこにも季節感は残されています。

 石榴熟れていて一列の登り降り    泰 子
 髪濡れて月の夜風に吹かれおり    洋 子
 萩刈られ露もいよいよ声をもつ    正 子

 季節の風景と出会って、その感動を自分のものとして表現することの出来た個性的な俳句です。作り手の人間 が読み手に見えてきます。

 日に中にきれいに光り落し水  (相)弘 子
 青空はくっきり青し破れ芭蕉     満 樹
 空色の朝顔一番高く咲き       松次郎
 コスモスの揺れる新しい風の道 (久)弘 子

 これらの句に使われている「楽し、きれいに、くっきり、高く、新しい」といった形容詞や副詞は、日常生活 でもよく使われている言葉ですが、平明であるのが効果的に働いて句に力を与え、季感を強めています。難解な 俳句は、季感が薄く、意外に感動のないものなのです。


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